甘えるなよ<テレビ有名人>

 最近、「日本のネットで発言する人間は実名を出さないから無責任で、信頼性がない、アメリカのブロガーとかはきちんと実名を出しているのに」とかテレビ評論家がのたもうとるのが目に付きます。

 ふざけんな、勘違いしてるんじゃねーよ、といいたいです。

 結局かれらは正論を吐いているようで、自分の都合しか考えていない、そしてネットの言論を統制したい権力のお先棒をうまうまと担がされているだけです。まだネットに習熟していない、あるいは敵視している世代やひとたちがかれらの後ろ盾(パトロン)やってるからこういう発言が許されるのでしょう。

 別に俺個人は、こういう今書いているような記事なら実名出したって別に問題はありません。政治関係とか、学術関係の記事なら実名出したほうがメリットがあるのもわかります。今だって正当な理由で問い合わせてくれればきちんとそのひとには教えますよ。でも、事情があって絶対に実名が出せない場合だってあるのも充分理解できます。

 このブログの場合なら、俺の私的な趣味とか考えとかも載っけていっている訳です。その場合、俺にも普段の生活があります。今は名前からだけでも容易にそのひとの経歴や職業を辿ることができる時代です。あ、この仕事をしているひとが、こんなこといってるんだ、じゃあ、この会社もそういう会社なのね、なんて思われると困りませんか?テレビ評論家は何でも発言することが仕事なんだからいいでしょう。テレビで喋ること=実生活のすべてに近いんだから。でも、実生活が別にあるひとにとっては、同じようにすることのリスクはずっと大きいのです。

 アメリカで実名のネット発言が多いのは、それをもビジネスチャンスにつなげたいという積極性のあらわれに過ぎません(でなきゃ「私に興味がある人はこのメールアドレスに連絡してね」なんて書きません)。つまり、これの事例を引き合いに出す人はこういった要素を無視して、意図的に曲解しているわけです。

 そのアメリカであっても、企業が就職活動中の学生のブログや日記を見て合否の判断材料にする、ということが起きて、そのために自分のページを閉鎖する学生が出てきたという話がありました。。大体、こういうプレッシャーが常態化したら、誰も企業や国に突っ込んだ批判ができなくなる。権力側の論理でいえば内部告発的なことは許しがたいでしょうが、正常な社会では絶対に必要な浄化装置です。俺はこんな圧力に屈して自分の書きたいことを自由に書けなくなるくらいなら、匿名で書き続けた方がずっといいし責任ある行動だと思いますよ。伝えるべきことがあるのなら、やらないより自分のできるかたちでやる方が正当であるに決まっています。

 だからといって、実生活に影響が出る可能性のある発言はすべて控えなけばなりませんか?それこそ愚の骨頂です。ひとはなんでも思うことを自由に考えていいし、書いてもいい、芸術として表現してもいいという基本は留保つきのものではない。その表現を生業としている人間が、他人のそれを認めないのは結局自分で自分の首を絞めているのと同じことです。

 いつの時代も、どんな権力にとっても、一番怖いのはことばであり、表現です。情報がスムーズに流通すればするほど、ことば、芸術は大きな力を持つ。それはわれわれひとりひとりが持つことができる最大の武器であり防具、翼です。それを戯けたテレビ評論家やらタレントが、わが身かわいい一心から規制すべきだとか抜かしやがります。それこそ公の場で100%手前の都合だけ出たことばを吐いて、恥ずかしくないんでしょうか。こういう態度をこそ叱り付けるのが真のご意見番でしょう。衰弱死しかけている現在に至っても、そういう人が見当たらないままなのは、テレビというメディアが官憲の規制という傘の下で如何にヌクヌクと未熟なまま年を重ねてきたかということをよ~く表しています。ネットも無批判に規制を受け入れてたら遠からずこうなりますよ。

 テレビで堂々と扇動的な発言をしているからといって、偉そうにできると勘違いしてるひとたちは目を覚ましたほうがいい。そこから何がしかの報酬を得ているあなたたちと違って、あなたたちを批判しているひとたちの多くはまったくの見返りなし、どっちが身体を張っているといえるのでしょう。

 そもそも、規制すれば正確な情報だけが健全に流通するようになる、というのは大間違いです。彼らはマスコミ学の基本であろう<噂話の原理>を知らないのでしょうか。禁じられれば禁じられるほど、得られる情報が少なければ少ないほど、より大事なことに関して現実とはかけ離れて誇張された噂話がより監視しがたい形、つまり口伝てでまことしやかに広がり、取り締まることなど不可能です。ひとの口に戸を立てることはできず、井戸端の噂話を規制することなど無理なことです。このような不健全な情報の流通は、権力にとってしばしば致命的なダメージをも引き起こし得ます。

 権力構造にとっても、実はより多く、様々な質の情報が流通することはプラスになり得るのは、女性スキャンダルだけで退陣した昔の首相と、様々な致命的な失敗を犯しながらも情報過多のために逆に国民の関心が重大な集中せず、命脈を保っている現政権とを比較すればわかることです。

 大体、昔の兵法にも、情報を制限するよりもむしろ無数の嘘と真実をばら撒いた方が敵の攪乱には有効だと出ているじゃありませんか。

 だからといってわれわれにとってもそれがいいことだとは勿論いいません。われわれは情報をチョイス
し、共同してそこへ関心を集中して事態をひとつひとつ動かしていく訓練をすべきです。ネット文化はこれから成熟していかなければならない。そこにおいて不要な規制の導入などの手段はその成長を歪に阻害するだけです。古い時代の遺物である著作権法名誉毀損といった考え方を根本的に見直す時期に来ていると思います。

 よーするに、ネットで悪口書かれてムカつくなら、自分で言い返せよ、口があり、ことばを書けるんなら、っつーことですよ。それが子供じみてると思うなら黙っときゃいい。権力に助けを求める方がよっぽど子供じみてます。金持ちが一般人との喧嘩をマフィアに仲裁させるようなもんです。

 みんな、匿名では発言が相手にされる自信もなくて、テレビの権威を纏わないとものもいえないような輩にいいたいように言わせて置かないで、もっと心に茨を持ちましょうよw。