100万$ナイト②

 甲斐バンドのテイストを決定付けていたのは、大森信和のギターであった、といわれます。

 決して奇を衒うことのない、ただひたすら基本に忠実なギターワークは、ややもすると退屈の誹りを免

れ得ないように思われますが、大森信和はファンに愛され続けていました。

 ロックのギターには、<ゆがみ>、<ひずみ>が好まれます。しかし、大森信和のギターはむしろ<流

麗>さをも感じさせ、ひずませた音を出しても、<汚い音(決して悪い意味ではありません。念のため)

>というよりはむしろまっすぐな音、と感じます。まるで人柄をあらわしているようでもありました。

 バンドを代表するのはヴォーカルのように思われがちですが、甲斐バンドにおいて、甲斐よしひろのヴ

ォーカルスタイルは、常に変化し続けており、デヴュー当時と1986年の解散時では全く異なる印象を受け

ます。かれの書く楽曲も然りです。その中で、甲斐バンドのバンドとしてのアイデンティティ、常に不変

の良心という、損とも思われる役回りを引き受けていたのが大森信和でした。かれの揺らがないどっしり

とした音がなければ、甲斐バンドはすぐにでも、実質的には甲斐よしひろのソロワークとしか呼べない状

態になってしまったでしょう。逆に、甲斐よしひろのソロワークにおいて、バンド時代の他のふたりのメ

ンバー、田中一郎と松藤英男はアルバムに参加することがありましたが、大森信和は、甲斐バンド解散の

直接の引き金となったかれの持病の聴力障害のせいもあったでしょうが、一度も甲斐よしひろのソロワー

クに参加することはありませんでした(ライヴは除いて)。これは、甲斐バンドの音を決定付けていたの

が大森信和のギターであったことを間接的に証明している事実であるように思われます。

 2004年、甲斐よしひろのプロデヴュー30周年を記念したツアーにおいて、その年の7月に亡くなった大

森信和ゆかりの曲として「くだけたネオンサイン」、SEの「25時の追跡」、そして「100万$ナイト」が

セットリストに加わりました。前二曲は大森信和作曲だからわかりますが、「100万$ナイト」は甲斐よ

しひろ作詞作曲。なぜ<大森信和ゆかり>なのかはじめは理解できませんでした。

 「100万$ナイト」のハイライトは、演奏の最後、長い後奏部分の甲斐よしひろの咆哮です。頭を激し

く振って叫ぶかれの姿は、命を振り絞るような刹那の衝動を感じさせます。

 ライヴでその部分に来たとき、はじめてそこに大森信和の不在と存在を感じました。そのステージに

は、甲斐よしひろの声に絡むようにして泣き咽ぶ大森信和のギターが、すっぽりと抜け落ちていました。

おそらくは意識して大森信和のスタイルを踏襲しようとせず、かたくなに自らのざくっざくっと刻むよう

なスタイルで演奏し続ける、現在のギタリスト土屋公平の音が、その大森信和の音の不在を更に際立たせ

ます。ですが、僕の頭の中では、確かに甲斐よしひろのヴォーカルに寄り添う、大森信和のギターの音が

響いてました。

 「100万$ナイト」は、ささやくようなメロ部分と、叫びのようなサビ、そしてそのふたつをあわせた

ような後奏部分で成り立っています。その叫びとささやき、光と陰のコントラストを生み出していたの

は、咽喉を削るような渾身の甲斐よしひろのヴォーカルと、それと一緒に歌う大森信和のギターだったの

だと思います。全編にわたって、かれの過剰さを抑えたサウンドが、ともすれば激発しそうになる甲斐よ

しひろの声を鎮める役割を果たしています。俯いて、淡々とギターを弾き続ける大森信和。例え肉体がそ

こになくても、甲斐バンドの多くのライヴ定番曲を聴くとき、そこにはかれの音が確かに感じられます。

 甲斐よしひろは大森信和の亡くなった後、他の甲斐バンドのメンバーふたりが主催しているかれを偲ぶ

会に参加していません。これは、甲斐よしひろと大森信和の関係が、単なる友人ではなく、骨っぽい同

志、目的を同じくする盟友であったからなのだろう、と僕は勝手に思っています。