ライオンと魔女と衣装箪笥
「ライオンと魔女」を見ました。『ナルニア国ものがたり』ですね。
とはいっても、現在公開中らしいディズニー版ではなく、昔BBCがテレビドラマ化したもののDVDのほう
です。アスランがフルポリゴンで動いとるのなんか見たくないわー!ってことで。
『指輪物語』もそうだったのですが、僕には童話やファンタジーをテクノロジーによって<そのままに
>映像化するということは非常に貧しいことで、怖いことに思えます。そもそも、余白、想像の余地の存
在によってのみ虚構の世界はあるひとにとって現実となり得るのです。映画も同じで、どうやっても原作
をそのままには再現できない制約があるからこそ、表現の苦闘(工夫)の中に別の意味が見出され、別の
作品としての生命を授かるのです。作者の思いを、そのまま無批判に一部の隙もない確立した映像として
存在させられると思い込んでしまえば、自らの歪んだ視線にも無自覚にならざるを得ず、どのような美し
い物語も悪夢として現出してしまうのではないでしょうか。それは人間の現実の醜悪な紛い物、歪んだ鏡
像にしか過ぎなくなってしまいます。それは一度は実在した物語の世界、一緒に冒険した仲間たちの世界
を抹殺してしまうことに他ならない、と僕は思います。
少なくとも『ロードオブザリングス』の映画は、僕には驕慢さに満ちたあられもないものに映り、悲し
いものでした。思い入れの強い『ナルニア』でそんな気分を味わいたくないのです。
大体、テレビのCMで「感動しましたぁ」とか、「また続きも見たいです」とかいってる結構いい年した
あんちゃんねえちゃんたちの中の何人が、原作の小説を読んだことがあるのでしょう。他人に与えられる
出来上がったイメージを無邪気に喜んで受容してる姿を見ると、正直こいつらにはナルニアのナの字も語
って欲しくない!と思います(いいすぎ)。
話が大きく逸れました。このBBC版、テレビドラマですが、かつてオアシスのリアム・ギャラガーも
「いままで読んだ本なんて子供のとき読んだ「ライオンと魔女と衣装箪笥(「ライオンと魔女」の原
題)」だけでえ」といっていたほどの(?)国民的文学作品。手抜き一切なしの2時間くらいにわたる
堂々の映像化です。
僕は小学校の頃、『ナルニア国ものがたり』を非常に愛していて、レゴブロックで勝手にナルニアを舞
台にしたおはなしをつくって遊んでたりしてました。さすがに大分年行ってからは、キリスト者丸出しの
ルイスの世界観に素直に感情移入するのは辛くなってきてたので、長いこと再読してません。
BBC版を見てても、途中エドマンドが冬の魔女に会うくらいまでは結構覚えてるのですが、その後はど
ういう経緯を辿るのか完全に忘却の彼方だったので、ぬいぐるみのアスランの造形が結構リアルで、ルー
シーたちが鼻の横ですりすりしてもらうのを見て
「ええなー、やってもらいたいなー」
などと思ったり、<葦笛>って二又のフルートみたいなかたちだったのか?とか、エドマンドが冬の魔女
にもらったプディングって、<トルコのプリン>だったのか、とか子供の頃はイメージし切れなかった部
分の新発見があったり、なかなか興味深かったです。
一番面白かったのは、4人の子供たちの使う完璧な(?)クィーンズ・イングリッシュ。特に長男のピ
ーターが非常にお上品な喋り方をするのですが、なるほど、物語の中の彼らも確かにこういう良家の子弟
だったんだな、と妙に納得させられました。訳も「・・・ですわ」とか、「・・・でございます」とかに
した方が近いかもしれません(笑)。あんましかわいくない子供たちも、英国の上流階級の子供ってこん
なんだろうな、と思わせて妙にリアルでした。特にルーシーのぱっとしないこと(笑)。
さすがにお膝元製作だけあって、英国特有のへんてこさやいやらしさまでも自然に映像化できているの
も良かったです。逃亡中で野外なのに、ティータイムがあるんですよねえ(笑)。多分、国際市場向けの
ディズニー製作のものではこうもドメスティックな匂いは表現できてないでしょうし、また残せていない
でしょうね。大体あっちのルーシーはかわいすぎる(笑)。
まあ、内容的にも、アスランが一度犠牲にささげられるのと復活する際に居合わせるのがふたりの女の
子であることや、アスランの姿が英国の英雄アルフレッドにダブって見えたり、結構発見があったのです
が、そういった方面は専門でもないし控えときます。
ところで、このシリーズ原題ではどうも『ナルニア年代記』というみたいですね。初めて知りました。
なんか、このタイトルで日本語にすると急にイメージが大人びたものに変わるから不思議です。やっぱ、
『ナルニア国ものがたり』の方がいいかなあ。
とはいっても、現在公開中らしいディズニー版ではなく、昔BBCがテレビドラマ化したもののDVDのほう
です。アスランがフルポリゴンで動いとるのなんか見たくないわー!ってことで。
『指輪物語』もそうだったのですが、僕には童話やファンタジーをテクノロジーによって<そのままに
>映像化するということは非常に貧しいことで、怖いことに思えます。そもそも、余白、想像の余地の存
在によってのみ虚構の世界はあるひとにとって現実となり得るのです。映画も同じで、どうやっても原作
をそのままには再現できない制約があるからこそ、表現の苦闘(工夫)の中に別の意味が見出され、別の
作品としての生命を授かるのです。作者の思いを、そのまま無批判に一部の隙もない確立した映像として
存在させられると思い込んでしまえば、自らの歪んだ視線にも無自覚にならざるを得ず、どのような美し
い物語も悪夢として現出してしまうのではないでしょうか。それは人間の現実の醜悪な紛い物、歪んだ鏡
像にしか過ぎなくなってしまいます。それは一度は実在した物語の世界、一緒に冒険した仲間たちの世界
を抹殺してしまうことに他ならない、と僕は思います。
少なくとも『ロードオブザリングス』の映画は、僕には驕慢さに満ちたあられもないものに映り、悲し
いものでした。思い入れの強い『ナルニア』でそんな気分を味わいたくないのです。
大体、テレビのCMで「感動しましたぁ」とか、「また続きも見たいです」とかいってる結構いい年した
あんちゃんねえちゃんたちの中の何人が、原作の小説を読んだことがあるのでしょう。他人に与えられる
出来上がったイメージを無邪気に喜んで受容してる姿を見ると、正直こいつらにはナルニアのナの字も語
って欲しくない!と思います(いいすぎ)。
話が大きく逸れました。このBBC版、テレビドラマですが、かつてオアシスのリアム・ギャラガーも
「いままで読んだ本なんて子供のとき読んだ「ライオンと魔女と衣装箪笥(「ライオンと魔女」の原
題)」だけでえ」といっていたほどの(?)国民的文学作品。手抜き一切なしの2時間くらいにわたる
堂々の映像化です。
僕は小学校の頃、『ナルニア国ものがたり』を非常に愛していて、レゴブロックで勝手にナルニアを舞
台にしたおはなしをつくって遊んでたりしてました。さすがに大分年行ってからは、キリスト者丸出しの
ルイスの世界観に素直に感情移入するのは辛くなってきてたので、長いこと再読してません。
BBC版を見てても、途中エドマンドが冬の魔女に会うくらいまでは結構覚えてるのですが、その後はど
ういう経緯を辿るのか完全に忘却の彼方だったので、ぬいぐるみのアスランの造形が結構リアルで、ルー
シーたちが鼻の横ですりすりしてもらうのを見て
「ええなー、やってもらいたいなー」
などと思ったり、<葦笛>って二又のフルートみたいなかたちだったのか?とか、エドマンドが冬の魔女
にもらったプディングって、<トルコのプリン>だったのか、とか子供の頃はイメージし切れなかった部
分の新発見があったり、なかなか興味深かったです。
一番面白かったのは、4人の子供たちの使う完璧な(?)クィーンズ・イングリッシュ。特に長男のピ
ーターが非常にお上品な喋り方をするのですが、なるほど、物語の中の彼らも確かにこういう良家の子弟
だったんだな、と妙に納得させられました。訳も「・・・ですわ」とか、「・・・でございます」とかに
した方が近いかもしれません(笑)。あんましかわいくない子供たちも、英国の上流階級の子供ってこん
なんだろうな、と思わせて妙にリアルでした。特にルーシーのぱっとしないこと(笑)。
さすがにお膝元製作だけあって、英国特有のへんてこさやいやらしさまでも自然に映像化できているの
も良かったです。逃亡中で野外なのに、ティータイムがあるんですよねえ(笑)。多分、国際市場向けの
ディズニー製作のものではこうもドメスティックな匂いは表現できてないでしょうし、また残せていない
でしょうね。大体あっちのルーシーはかわいすぎる(笑)。
まあ、内容的にも、アスランが一度犠牲にささげられるのと復活する際に居合わせるのがふたりの女の
子であることや、アスランの姿が英国の英雄アルフレッドにダブって見えたり、結構発見があったのです
が、そういった方面は専門でもないし控えときます。
ところで、このシリーズ原題ではどうも『ナルニア年代記』というみたいですね。初めて知りました。
なんか、このタイトルで日本語にすると急にイメージが大人びたものに変わるから不思議です。やっぱ、
『ナルニア国ものがたり』の方がいいかなあ。