オサレなんか犬にでも食わせちまえ~
最近は一端にオーディオかぶれして、う~いい音、いい音はねぇが~、などと呻いていたのですが、甲
斐さんが眼を覚まさせてくれました。
甲斐よしひろ、ソロ2枚目、1989年のアルバム『CHAOS』。この時期、甲斐さんはライヴのMCなどで、し
きりに「友人がエイズで死んだ」とか「銃撃戦で死んだ」とか口にしていたらしいです。甲斐さんの作品
群の中でも最もダークな心象世界が描かれたアルバムで、あまりにもストイックなつくりこみがなされて
いるために、非常に静的な印象を与え、ややもすればとてもつまらない音に聴こえてきます。表面的にい
えば、ギターをほとんど前面に押し出さず、シンセと打ち込みのドラムの間の隙間をエコーだけで埋めて
いくというアンビエント系の音作りが甲斐さんの作品群のなかでは非常に異色です。
このところ、ライヴっぽさ、生っぽさ、にこだわったアルバムばかりしか聴けない身体になっていたの
ですが、とりあえずそういう勢いだけのものはちょっと飽きました(笑)。所詮家で聴く音楽は演奏を体
験する場とは異なる空間ではありませぬか。音楽はライヴだけではない!(笑)
最近タ○レコのジャズやクラシックのフロアをうろつくようになって感じることなんですが、いわゆる
<クォリティ・ミュージック>とされているようなこういう音楽をやるひとたちって、目指す音に対する
ヴィジョンが低めじゃないですかね。いえ、勿論全部が全部ではありませんが。
なんか聴いててもびびっとくるような凄さを感じるものが非常に少ないんですよね。どこをむいてもお
しゃれさんばっかりが眼に入る感じ。
勿論音楽をやる上で、<オサレ系>であることは非常に重要なファクターの一部でしょう。ことにラウ
ンジミュージック、クラブミュージックとして演奏される音楽であれば、エンターテイナーとしてオサレ
空間を演出してナンボです。
ですが、CD、レコードなどのかたちで直接演奏されていない場でも音楽を楽しめる時代にあって、レス
トランや喫茶店で流れてるのを聴くのならともかく部屋でひとりで聴く音楽がオサレである必要性がある
でしょうか?ずっとオシャレさんでいたら貴方は疲れませんか?
僕はひとりで音楽を<楽しむ>なら、むしろパーソナル対パーソナルで向き合えるものの方が好きで
す。いわゆるポップスの分野では、とっくにパーティを盛り上げることだけがポップの定義ではなくなっ
て久しいです。それは指標としてビートルズの前期と後期の変容を見ても明らかでしょう。ところが、ジ
ャズなんかを見てると全体としてはむしろ時代が後退しているように感じます。これは音楽としてはジャ
ズが大多数のひとびとの音楽生活の主役の座から追われて長く、限定的な聴き方しかされてこなかったこ
とを反映しているのでしょう。現代の音楽において、個人の部屋あるいはウォークマン(今はi-podと書
いた方がいいんでしょうか)で日常的に聴かれないものは、全体としてもレヴェルも下がって当然です。
甲斐よしひろは、『CHAOS』を発表した当時、ライヴの場においてはファンクやジャズの要素を取り入
れてアルバムとは全く異なるアレンジで聴かせていました。生演奏を単なるレコードの再現、あるいはそ
の逆として主従の関係に置くのではなく、各々を独立したものとしてとらえて表現していこうとする試み
であったと思います。実際その当時のライヴを記録した映像作品を見ると、ライヴヴァージョンになった
『CHAOS』の曲群はアルバムの印象とは全然違った、熱のこもった表現になっていて、それ自体として素
晴らしい完成度を持っています。
斐さんが眼を覚まさせてくれました。
甲斐よしひろ、ソロ2枚目、1989年のアルバム『CHAOS』。この時期、甲斐さんはライヴのMCなどで、し
きりに「友人がエイズで死んだ」とか「銃撃戦で死んだ」とか口にしていたらしいです。甲斐さんの作品
群の中でも最もダークな心象世界が描かれたアルバムで、あまりにもストイックなつくりこみがなされて
いるために、非常に静的な印象を与え、ややもすればとてもつまらない音に聴こえてきます。表面的にい
えば、ギターをほとんど前面に押し出さず、シンセと打ち込みのドラムの間の隙間をエコーだけで埋めて
いくというアンビエント系の音作りが甲斐さんの作品群のなかでは非常に異色です。
このところ、ライヴっぽさ、生っぽさ、にこだわったアルバムばかりしか聴けない身体になっていたの
ですが、とりあえずそういう勢いだけのものはちょっと飽きました(笑)。所詮家で聴く音楽は演奏を体
験する場とは異なる空間ではありませぬか。音楽はライヴだけではない!(笑)
最近タ○レコのジャズやクラシックのフロアをうろつくようになって感じることなんですが、いわゆる
<クォリティ・ミュージック>とされているようなこういう音楽をやるひとたちって、目指す音に対する
ヴィジョンが低めじゃないですかね。いえ、勿論全部が全部ではありませんが。
なんか聴いててもびびっとくるような凄さを感じるものが非常に少ないんですよね。どこをむいてもお
しゃれさんばっかりが眼に入る感じ。
勿論音楽をやる上で、<オサレ系>であることは非常に重要なファクターの一部でしょう。ことにラウ
ンジミュージック、クラブミュージックとして演奏される音楽であれば、エンターテイナーとしてオサレ
空間を演出してナンボです。
ですが、CD、レコードなどのかたちで直接演奏されていない場でも音楽を楽しめる時代にあって、レス
トランや喫茶店で流れてるのを聴くのならともかく部屋でひとりで聴く音楽がオサレである必要性がある
でしょうか?ずっとオシャレさんでいたら貴方は疲れませんか?
僕はひとりで音楽を<楽しむ>なら、むしろパーソナル対パーソナルで向き合えるものの方が好きで
す。いわゆるポップスの分野では、とっくにパーティを盛り上げることだけがポップの定義ではなくなっ
て久しいです。それは指標としてビートルズの前期と後期の変容を見ても明らかでしょう。ところが、ジ
ャズなんかを見てると全体としてはむしろ時代が後退しているように感じます。これは音楽としてはジャ
ズが大多数のひとびとの音楽生活の主役の座から追われて長く、限定的な聴き方しかされてこなかったこ
とを反映しているのでしょう。現代の音楽において、個人の部屋あるいはウォークマン(今はi-podと書
いた方がいいんでしょうか)で日常的に聴かれないものは、全体としてもレヴェルも下がって当然です。
甲斐よしひろは、『CHAOS』を発表した当時、ライヴの場においてはファンクやジャズの要素を取り入
れてアルバムとは全く異なるアレンジで聴かせていました。生演奏を単なるレコードの再現、あるいはそ
の逆として主従の関係に置くのではなく、各々を独立したものとしてとらえて表現していこうとする試み
であったと思います。実際その当時のライヴを記録した映像作品を見ると、ライヴヴァージョンになった
『CHAOS』の曲群はアルバムの印象とは全然違った、熱のこもった表現になっていて、それ自体として素
晴らしい完成度を持っています。