少年の蒼

 大友康平が<ひとりハウンドドック>になったらしいですね。今日初めて知りました。

 他の人たちを全員解雇して、「ハウンドドック」は大友康平ひとりだけが正式メンバーの<バンド>という訳のわからない形態になったようなのですが、あんたはオリジナル・ラヴが、と思わず突っ込みを入れつつ、甲斐さんだったらどうしたかなあ、と思いを巡らせました。

 1986年の<解散>は、「大森信和のいない甲斐バンド甲斐バンドではない」という理由からのものでしたが、もし大友康平と同年代の現在までバンドが続いていたらどうか?あるいは、少し意味合いは違いますが今後大森信和のいない<甲斐バンド>の活動はあり得るのか。

 仮定は仮定に過ぎませんが、やっぱり甲斐さんにはどんな状況にあっても、<ひとりになっても甲斐バンド>という選択はあり得ないように思います。シリーズオブドリームスツアーの1,2やロックンロールサーカスレヴューのように、甲斐バンドの曲しか演らないツアーであっても、それは飽くまで<ソロミュージシャン>甲斐よしひろの活動であって、「甲斐バンド」を名乗ったことはありません。

 そして甲斐よしひろ、松藤英男、田中一郎のラインナップでの甲斐バンドがあり得るか、というと、これもないと思います。これは甲斐バンドの再結成が、大森信和の参加が条件であったことから見ても明らかではないでしょうか(「SINGER」や「PARTY30」の<3人>は甲斐バンドではないが、「飛天」での<4人>は甲斐バンドでした)。

 僕が甲斐さんを好きな一番の理由は、そういう切なさがあるということだと思います。

 言い換えれは、弱さの現れ方。人間、自分の弱さは極力隠そうとするものでしょうが、ひょっとしたときに垣間見える心の弱さに、醜悪さを感じるか、逆に心を動かされるか。あえて恥ずかしげもなくもっと直接にいうと、弱さを見せたときに、辟易させられるか、胸がキュンとときめくかということですwww。

 これはもう完全に個人の感性の問題なのでしょうが、僕にとって大友康平は前者(ファンの方、ごめんなさい(・・;))であり、甲斐さんは圧倒的に後者です。僕は甲斐さんの弱い部分が好きなのです。

 僕のような人間がいうと天に唾吐くようなものですが(・・;)、結局他人とどれだけ密接に長く付き合えるかは、そのひとの悪いとき、落ち込んだときの状態をどれだけ許容できるか、という相性に尽きると思います。

 甲斐さんは身近な人というわけではありませんが、やっぱり声がいい、曲がいいというだけではこんなにも長く聴き続け、殆ど全ての作品を好きになり、ライヴに通うことはできない。ラジオやMCで駄洒落をいってたりw、妙につっぱらかったりしている姿が許せるのも、逆に時折見せる脆い姿に共感できるからだと思います。

 考えてみると、僕の好きなミュージシャンは、甲斐さんの他にもオアシスのリアム・ギャラガー、マドンナと、音楽的才能よりも、その時折見せる弱さにやられているということに気づきます。自分の身を護ることにどこか不器用で計算高くなれない、少年的、少女的な真っ直ぐさがこのひとたちにはあると思う。こんな言い方は変でしょうが、僕にとっては甲斐さんもリアムもマドンナもむっちゃかわいいwです。末っ子好きなのかもwww。

 こういうかわいげの感じ方というのは本当に人それぞれだと思うので、大友康平や長淵剛や桑田圭祐にかわいげを感じる人がいても全然否定はしません。ただ、中島みゆき浜田省吾は嫌いじゃないけど疲れそうだ、とか、本当に個人的な微妙な好みの違いを追求していくと、僕にとっては甲斐さんに行き着くというそれだけのことです。そういう多様さがあるから世の中上手く行ってるんだと思います。

 ただ、世間で漠然と流通している甲斐さんのイメージ、暑いwロッカーとか、強面、とか、ああいうのはやめて欲しいですね。それなら萩尾望都の描く栗鼠みたいなイメージの方が近いのにwww。