変身

 変身、というテーマは古代ローマの時代から絶えざる関心の的だったみたいで、オウィディウスという詩人は、ギリシア神話の翻案を書くときに、その表題をそのものずぱり、『変身物語』としました。

 この主題は、現代でも、カフカの『変身』や、筒井康隆の『怪奇畳男』wなど、様々なかたちで表現されています。最近読んだ『香水』という小説も、実はこの系譜に属するもののようです。

 『香水』は、フランスを舞台とし、自分自身は固有の匂いを全く持たず、それゆえに様々な匂いの嗅ぎ分けに悪魔的才能を発揮するグルヌィユ(蛙)という男が、ついに絶世の香りの美女から<人間香水>をつくりだすまでの一代記を描いたモダナイズされたピカレスクロマンとも呼ぶべきものです。

 作者はパトリック・ジュースキントというドイツ人。フランス大革命直前の時代を舞台とした作品です。

 日本語版のカヴァーに採用されているワトーという画家の作になる「ユピテルとアンティオペ」という絵で、これはユピテル(ゼウス)がアンティオペという娘を犯すために牧神サテュロスに変身して近づく様をえがいたものです。

 このカヴァーの選択にも現れている通り、固有の体臭というものを持たないグルヌィユは、ひとの眼に入るまで気づかれない、他人にとっては幽霊のように不気味な存在です。そのために、群集の中に溶け込むためにかれはかれがさまざまな匂いを混ぜ合わせてつくり上げた贋物の体臭を得ることが出来る香水を用いなければなりません。逆に言えば、その種の贋物の体臭を纏うことが出来る香水を使い分ければ、かれはひとびとにどのような人間とでも思わせることができるとされています。それは、この作品においては、人間は実はある他の人をその体臭によって知らず知らず評価していることが前提とされているためです。この作品におけるアンティオペといえるグルヌィユがその匂いを思慕する少女は、出逢う人全てをうっとりさせる魅力を持ちますが、それはその容姿よりもまず、フェロモン的なその体臭により魅惑するのです。

 フェロモン的、と書きましたが、作品中にはその言葉は一度も出てきません。ですがこの作品中のある種の少女たちが発散する魅力というのは、まさしく女王蟻的なフェロモンと呼ぶべきものでしょう。その意味において、匂いに耽溺し、その女性の肉体よりも体臭に執着するグルヌィユは正しい感覚の持ち主です。

 グルヌィユがその悲劇的な体質を逆に利用して、様々な体臭をまとうのは、まさに変身といえます。それはさまざまに姿を変えて美女に近づくゼウスと同じ脅威の業なのです。

 このように非常に感覚的に訴求力を持った主題を持つ作品なのですが、次第に理念的になっていく物語の運びははちょっと素材を活かしきれてなくて勿体ない感じがしました、僕には前半のパリの汚臭描写のナマナマしさが一番面白かったですw。