"いま"を切り取る

 oasisのNoel Gallagherがかつて、40曲の名曲からいいところだけをいただいて組み合わせれば大名曲をつくることができるよ、でも、それができるのは才能がある奴だけなんだ、というようなことをいっていましたが、まさに、芸能なんてただのコラージュに過ぎない、だけど、それを今、その場所の感覚で切り取り、化学変化させるのがクリエイティビティというもの正体なんだ、と思いますね。

 近代以前型の大衆にとって最大のエンターテイメントのひとつであった、<お説教>などその典型です。聖書や仏教の経典の言葉を、分かりやすく語りなおしているに過ぎない。ですが、その時代、その場で語られることによってそこには特別な意味、キング牧師が語ったならキング牧師のクリエイティビティが含まれている。また、落語家が古典落語をやることで、観客は常にその元々の作者を意識しながら聞くか?そんなことはない、その場で演ってる談志なり歌丸なりのオリジナルの芸として聞く。歌舞伎や能もそうです。現代の著作権保護制度が見落としているのはまさに芸能のそういった本質であり、所詮資本家の考え出した自分たちに都合のいいからくりに過ぎません。芸能、エンターテイメントは模倣にはじまり模倣に終わる、といっても過言ではない、ですが、一方で個々それぞれ極めてオリジナルなものであることも確かなのです。

 「落下する月」とそっくりな'So Cruel'のイントロにしろ、実はMarvin Gayeあたりからのいただきかと思えるわけです。ですが、それぞれ同じフレーズに導かれて出てきた曲でありながら、載っている歌詞も展開も違うし、印象もまったく違う。そこらへんが音楽のスリリングで面白いところであり、甲斐よしひろの凄いところでもあると思います。