甲斐バンド 全曲レビュー その10 「思春期」




「すべての夜から 色のない朝まで」。いいフレーズだなぁ。

この曲は1回書いただけではではきちんと語り切れた気がしないような、ちょっとややこしい曲だw。実際歌詞一行一行に解説というか突っ込みを入れていけるくらいだが、そんなエリオットの「荒野」評論みたいなことはやってられないし、やったとしても明後日の方向の内容になってしまうだろう。

萩尾望都甲斐バンドの曲を用いたミュージカル、という設定で描いた『完全犯罪』という作品の単行本の巻末に、萩尾望都甲斐よしひろとの座談会が収録されているが、その中で、「レイン」と通じるものを持つ曲として、この「思春期」の名前が甲斐よしひろの口から挙げられている。

その内容は、「思春期」は、三つぐらいの曲にできるようなテーマを詰め込んだ曲で、つくった当時も、(このやり方を何曲も続けちゃったら?)やばいな~、と思っていた、「レイン」は、同じようにすごく濃密な曲である、というようなものだったのだが、確かに「レイン」も訳わかんない歌詞であることは確かだw。

ただ、唄われている内容というか方向性的には大分印象が異なっていて、「思春期」が『英雄と悪漢』以後の初期甲斐バンドの曲に何回も出てくるテーマの萌芽を感じさせるのに対して、「レイン」は甲斐バンド解散に至るまでの寂寞の余韻を引きずっていて、『地下室のメロディー』以降の楽曲群の<破れたハートを引きずって夜を彷徨う>という姿の延長線上にある部分がある(しかし、「今夜今夜すべての星が彼女を照らす 今夜今夜すべての星が二人を照らす」という締めは、「ラブ・マイナス・ゼロ」辺りから育まれてきたそこから先の新たな感覚の芽ばえを感じさせる)。

「思春期」の場合、「何の意味なく 何の意味なく 僕を抱きしめてくれたひと」の辺りからは『英雄と悪漢』の「東京の冷たい壁にもたれて」あたりの女性像の萌芽が感じられるし、「裸足のままで 裸足のままで いつもいたかった少年は いつの間にか いつの間にか 絹をまとった 青年に」あたりには『らいむらいと』の他の曲に通じるリリシズムが感じられる。だが、何といっても強い印象を受けるのが、サビの「一人の淋しさがこわくて 熱い愛の言葉をさがす そんな僕に そんな僕に ドラマはいらない」辺りのやけっぱちさだろう。

ある意味「No.1のバラード」よりずっと皮肉な感じのする、メロディー部分とは異質な歌詞が乗ってくるのはびっくりするし、甲斐よしひろの作品では他に「からくり」くらいしか見当たらない自棄になったような歌詞にも驚かされる(「i」とか「時の人」あたりも深読みしようとすればそう読めるかもしれないけれど)。しかも、それがきれいな(無難な)まとめ方で締めようともせず、ぽーん、と放り出されるような「そんな僕に そんな僕に ドラマはいらない」という云いっ放しなのだ。

どちらかというと無難に、聴き手の耳障りがいいようなきれいごとでまとめてくるのが後年の甲斐よしひろの歌詞の特徴でもあるし、逆に実はメロ部分と合わせたややこしさを含めた、こういう割り切れない、錯綜した感情は本音なのかな、とも思えてくる。無論、まさに思春期に抱きやすいような厭世観でもあるし、誰しも抱いたことのあって当然の感情ではあるのだが、ちょっときれいごとで終始するのに辟易させられる部分もちょっとあるしw、何となくこういう曲があるのは嬉しくもある。そして太宰とかランボオの個の内面のドロドロ丸出しの作品が、それだからこそ美しいように、この曲も美しいと思う。

この曲は、今だからこそ、甲斐よしひろに演って欲しい気がするんだけどなぁ。段々過去の曲を取り上げるのもかたちだけになりつつある中で、この曲はそういう流し方ができない曲だと思う。