試論 国民の誕生

最近考えている事の私的纏め、定義化の一環。いつもながら、基礎的な洗い直しで特に目新しい事は云っていません。


最近、ローマ教皇天皇の近似性に注目していて、天皇家は王家としての血筋の長命さがよく云われるが、ざっくりとした王家という切り口では実は大事なところを見逃してしまいかねない。天皇の主権、権威が何に由来するかというと、国家神道の総元締である事、詰り宗教国家の大祭司なのであり、その意味ではローマ教皇の権威の根拠と近似している。

王が神性を纏って統治するという事はよくある事ではあるのだが、実は王権と祭祀権は必ずしも一体のものではない。さらに細かく分けると軍事、行政、宗教の三つの権利の中、軍事と行政は王権に属すると考えられる事が多いが、宗教権は必ずしもそうではない。天皇も時代によって、これら三権を兼ね備えた事もあったが、そうでない時期の方が長く、逆に常に保持していたと考えられるのは宗教権なのである。そう考えると、西欧の概念に翻訳するならば、実は天皇は王というよりも、教皇とするのがより適当である。

この文脈で行くと、天皇主権の日本国の歴史的連続性の根拠もまた、国家神道による宗教支配の連続性のみという事になる。その意味では西欧をカソリック教会支配の連続性から通史で見るのと同じだし、カソリック教会の宗教権は天皇制と同じ位古くから存続しているのだし(皇紀何年とかは余りに莫迦らしいので無視)、祭祀が世襲かそうでないかなどという事は制度の違いに過ぎないのだから、天皇家は英国王室とかではなく、ローマ教皇とこそ比較すべき歴史性を持っていると云える。

藤原家や平家や源氏や足利家や徳川家は西欧的にはカイザー、神聖ローマ皇帝と比較すべきだろう。神聖ローマ皇帝同様、摂関家や幕府の実効支配地域は、天皇の宗教的影響力の及ぶ地域とは完全に重ならず、むしろそれよりも狭い範囲である事が多かった。そのように見ると、実は日本のカイザー達は神聖ローマ帝国と比較してもかなり頻繁に興亡を繰り返して来たという事がわかる。

この見方に立てば、日本国と日本民族の歴史的連続性と一体性が、実は西欧のカソリック圏の歴史的連続性と一体性と同程度の緩いものである事が判る。帝王たる主権者天皇のしろしめす統一日本国という概念は明治政府の再定義により存在するようになったのであり、それ以前から既に存在していたというのは実は歴史の書き換え、国家規模の積極的誤読の奨励によって定着した勘違いに過ぎない。

近代以前の日本は、西欧に準えると、小国家が乱立する日本という地域であったという見方も出来、現在の日本はこれらの小国家群と、本来日本地域の周縁に存在していたアイヌ地域と琉球王国を取り込んだ帝国として成立した定義を引き継いでいる。

現代の多数派とされる日本国民の一体感の基礎となっている<日本人>観は、実は明治期以降の皇民概念に由来する非常に新しいものであり、主に韓国、朝鮮、中国への蔑視もこの皇民概念の中で朝鮮民族中華民族が日本国の二級市民と位置付けられていた事が主要因といってしまっていいだろう(程度の差こそあれ、琉球アイヌ、そして台湾民族も同じ)。

国家概念は重層的なものであり、近代日本国家の場合はそれが明確な意図を持って単純化されて来た。それは<日本>概念の重層性が、実は非常に脆弱な新興の統一帝国日本の権威を揺るがせかねない危険因子と捉えられたからだ。

それだけならまだしも、<戦後>天皇が実質的に従前の宗教権のみを司る存在に逆行した事により、新しく拵えられた筈のこの国の存立の正当性の実態が喪失した。<日本>国が成り立っている根拠を語る事が、国家、国民の自己同一性の崩壊を招きかねない禁忌化したのは寧ろ<戦後>ではないだろうか。

憲法に謳われている筈の国民主権が殆ど空文化しているのは、本当に国民に主権があるとすれば日本国の領域の根拠が失われ、各地域は合意の下に分離独立すら出来てしまう事から目を背けたいからであろう。

だが、真の主権者たるべき天皇は(好意的表現をすれば)自ら主権を保留し続けているのであり、この国は主権者不在、国民は帰ってこない主を待ち続けている子羊達である。この点で実は現代の日本概念はキリスト教概念と相似しているように思える。<日本>の実態は宗教国家なのではないか。