いっつあすもおるわあるど(濃ゆい世界)

 色んなお店とかいったときに、特殊な業界だなあ、と引いちゃうことが良くあります。

 床屋でも、レコード屋でも、ファーストフード店でも、大抵のお店がそうなんですが、何か独自の業界用語とか接客法とか<地方ルール>が一杯目につくんですよね。

 逆にいうと、普通って何?そんなのあるの?というお話になりますね。最もスタンダートなお仕事・・・、う~ん、思いつきません。

 言い方は悪いのですが、どんなお仕事でも、子どもの遊びみたいな仲間内でしか通用しないルールを設けて<悪ノリ>してるようなところはあると思います。その業種では常識でも、お客さんとか取引相手から見たら辺に見える習慣は必ずある筈。一時期盛んにいわれたコンビ二の「~でよろしかったでしょうか」という敬語?なんかも嗤ってばかりはいられません。

 中流意識、というものの問題点は、自分の周囲が皆普通であることが<普通>だ、と思い込んでしまうことです。階級意識の強い社会では、虐げられているという意識が階級グループのアイデンティティを明らかにし、他の階級との差異を明確にします。それは服装、食生活などとともに、言語使用法にも如実にあらわれ、そのような言語状況の調査によって社会環境を研究する分野もあります。ですが、日本では言語の違いは未だに地方性による方言分布という二次元的な状況として捉える傾向が強く、階級性、職種特性などを含めた立体的な理解は不十分なようです。

 生物には生存の必要条件として多様性があり、大項目、小項目として纏め得る言語、国籍、肌の色などの共通項はあっても、特に社会的慣習において、これが一般的であるというような納得できる近似値を出すことは不可能であるように思えます。極端な話、全人類を同種だとする根拠は、どんなに異なる人種であっても互いに生殖活動は可能であるということだけでしょう。犬猫と変わりはありません。

 いくら自分が平々凡々な薄~い日々を送っていると思い込んでいたとしても、他人から見れば思い切り濃い人間であると考えたほうがいいでしょう。隣の芝生を嗤って喜んでても、きっとあなたは近所でもっと評判の変人に見られてますよ?

 と、たまには自分にいい聞かせてみましたw。